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2016年5月

学校で勉強する意味

漫画家:江川達也氏の投稿です。

〜以下参照内容です。〜

学校で勉強する意味とは何だろう。

足し算や引き算を学校で習う。いろんな計算を学校で習う。
算数や数学でものを論理的に分析してそれなりの答えをだす訓練をする。
しかし、今、コンピュータがやってくれるから、出来なくても平気だ。

それでいいのだろうか。

コンピュータがどうやってそれを出しているか知らなくていいのだろうか。

まさにプログラミングの世界でもそういうことが言われている。

プログラマーの殆どが使っているのは高級言語だ。
ライブラリーサブルーチンを使えば、中身がわからなくても、
レゴのように出来合いの総菜を組み合わせて料理を作るように何らかのプログラムが出来てしまう。
C言語も難しいとは言われているが、マスターしても機械語はわからない。

アセンブラを書いてるプログラマーは僅かだ。

アセンブラでコンパイラとか作ってはじめて、
コンピュータ言語がどういうことなのか朧げに理解出来るのだろう。

でも、そんなコンピュータの中のことなど知らなくても、プログラマーとしてやっていけたりする。
そう、プラックボックスの中なんかいい。というのが今の流れだろう。

人類の科学史を学びながら、一つ一つどうやって人類が科学を獲得していったかを
学ぶことはすごく必要な気がする。

〜参照終了〜

 

皆さんはどのように感じられました。

プログラミングの話はさておき、学校で勉強する意味に関して興味深い内容です。

 

考える力

『考える力が必要』などの文言が、雑誌やネットなどで多く見られるようになってきました。

この【考える力】は急に必要になったわけではなく、昔から必要でしたよね。

ではなぜ、今更目立つようになったのでしょうか?

それは、【考える力】が身についていない状況が、あまりにも多いのではないでしょうか。

下記のような文面を目にしましたので紹介します。

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『ちゃんと、早く、いい子に』の人材は『たくさん、安く、均質な』付加価値を生み出す為には必要だったが、

物に満たされた現在にこの考え方は当てはまらなくなっているし、このような前時代的な付加価値は、

全てロボットが行う事が出来るようになるだろう。

みんなが認める『正解』も無くなった。

正解が無ければ、それを教える先生の在り方も変わってくる。先生ではなく先輩であるべきなのだ。

正解のない世の中では、自分、相手、社会が納得出来る『納得解』が必要。

納得解はただの思い付きではなく、論理的に成立していて簡単には論破出来ないものである必要がある。

納得解を導くのに必要なのはクリティカルシンキングや複眼思考。

つまり、物事のそもそもを疑う目線や異なる角度から考える目線が必要。

ただし、思考方法だけでは役には立たない。

思考する為の材料が『知識』なのだ。

知識を詰め込む勉強がなくなる事は無いが、

その材料をどう使用するかの『思考力』にこれからの教育はもっと焦点を当て

子供達が実際にその思考力を行使できるようにしなければならない。

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どうですか・・・・・・・・・・・

 

そろばん教室から見た学習方法

そろばん教室では・・・・・・

『よ〜い、はじめ!』 → 『出来ました!』 → 採点

『よ〜い、はじめ!』 → 『制限時間、やめ!』 → 採点

この時間、10分前後。

この繰り返しで、上達していくんですね。

この10分前後の時間が、ちょうど良い時間なんですね。

集中も続き、頑張れる時間。

 

当教室では、この仕組みを利用した学習システムを導入しています。

1枚のプリントを、5分から10分で学習できるボリュームに作り上げ、

効率よく、繰り返し学習できるシステムなのです。

 

まさしく自考力

 

問題集を解いていくのも同じように感じますが、

一単元のボリュームが少し多いんですよね。

さらにテキスト形式の場合、やった感が無いようなのです。

プリントは達成感があるようです。

 

小学1年から中学3年まで対応出来ます。

小学低学年は国語・算数を。

5年6年は4教科を。

もちろん中学生は5教科対応です。

算数と数学の違いから学習方法を考えてみる

中学生になって、数学が苦手になった人が多いですね。

小学校では出来ていたのに・・・・・

 

【ミスが減らない】

「どうも計算ミス」が多い。

本人に聞いても、 

「あ、それはうっかりミス。次はもっと慎重にやるから大丈夫」と言います。 

 

どのような現象が起きているのでしょうか・・・・

 

「途中式を書かない」

目的が「上位校の中学入試に合格する」場合、いかに「早く正確に」計算できるかが勝負なので

途中式を書かない指導も見受けられます。

効果的な「メモ書き」と「暗記(平方数や素数)」を駆使して、中学入試で必要とされる計算問題を攻略します。

 

ただし、このやり方が通用するのは「算数」の分野です。「数学」はそうはいきません。 

論理的な式展開をすることにより、

一回の演算量を減らし、確実に解答にたどり着く「道順」をつくることが目的になります。

 

この点を理解しないまま、「答えを合わせ」にいくと、方程式の少数・分数あたりで

人間が「頭の中だけ」で処理できる限界に達します。 

計算を端折りすぎるので、暗算する量が多すぎて、ほとんど正解する方が「奇跡」のように感じるくらい、

計算問題の難易度が上がります。 

もちろん、簡単な方程式の段階から、式展開の途中式を身に付けていれば問題ないです。

でも、身に付けていなくても「正解」するんです。簡単な問題ならば。

 そして、いよいよ問題が難しくなった時には、すでに遅し。です。

 「途中式になにを書けばいいか」が分かっていないのです。

 

 

【方程式の文章題が解けない】

メモ書きや暗算中心の子が方程式の計算後半で大いに苦戦します。

そして、その子が「一息つける」ようになるのが、文章題(応用)に入った時です。

 

非常に簡単な問題から入ります。 

「ある数に3を加えた数と、もとの数の2倍が等しくなりました。ある数を求めなさい」なんて問題が出てきます。

 

方程式にうんざりした子は、喜々として「算数」の知識で取り組みます。 

特に「算数」を得意としていた子は、方程式を避ける傾向にあります。

方程式ではなく、「算数」で解きます。

「どうやって解いたの?」と聞いて見て下さい。

「どうやって?うーん、普通に」

と答えると思います。方程式を立てることなく「普通」に解いた。と言うのです。

 

「普通ってなんだ??」

 

このやり方の限界もお分かりですよね。

方程式の応用問題の中で、後半に破綻します。 

なぜなら、その子は「方程式の立式」を練習してこなかったからです。

簡単な問題で立式を練習していない子が、難しい問題の立式ができるはずもありません。

 

そして・・・・・

立式ができない

立式しても確実には解けない

という状態がいとも簡単にできてしまいます。

これは、「算数が得意」と言っていたお子さんにこそ起きやすい事象であることに注意が必要です。

 

 

【解決策はあるのか】

そこを切り開くのは、まちがいなくお子さんの「素直力」だと思っています。

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